
なぜいま「ほんとうのこと」なのか、を聴いた話
2026.04.21
4月21日火曜日ですね。 最近製本作業というか、本を作る時間が先月よりかなり減ったので、ポッドキャストを聴く時間も減りました。それで、このフォーゲットのひとりごとっていうのは、もともと製本作業とか、地味な作業をしている時に思いついたことということもあり、それに伴って、ひとりごとも減ってきてしまってますね。それでも最近、内沼晋太郎さんの本の惑星の、なぜいま「ほんとうのこと」なのか、というタイトルの回、第64回ですね、これを聴きました。ほんとうのことっていうのは、土門蘭さんっていう作家の方がいて、ほんとうのことを書く練習っていうタイトルの本が最近出版されまして、xとかでたまに見るのですが、なにやらめちゃくちゃ売れてるらしいみたいな、そんな第一印象だったのですが、どうやら家に置いてあった死ぬまで生きる日記という本の著者だということも知り、その著者のドモンさんが、えー出演されていたのですかさず聴きました。
それで、ひとりごとと、このほんとうのことっていうのが、結構、んー繋がるところがあるなと思ったので、ポッドキャストを聞いて思ったことを話したいなと思っています。まず最初にほんとうのことっていう言葉を聞いて、自分がいつも最初に思い浮かべるのが、大江健三郎の万延元年のフットボールですね。 この小説のとても重要なシーンで、登場人物のあるセリフがあって、そこがずっとなんというか、脳、というよりももはや身体の奥の深いところにずっと、ずっしりと残っているんですね。調べてみたら出てきたので、その箇所をそのまま読み上げてみます。
おれは、ひとりの人間が、それをいってしまうと、他人に殺されるか、自殺するか、気が狂って見るに耐えない反・人間的な怪物になってしまうか、そのいずれかを選ぶしかない、絶対的に本当の事を考えてみていた。その本当の事は、いったん口に出してしまうと、懐にとりかえしのつかない信管を作動させた爆裂弾をかかえたことになるような、そうした本当の事なんだよ。蜜はそういう本当の事を他人に話す勇気が、なまみの人間によって持たれうると思うかね?
いきなりとても物騒な話になってきたなと思われるかもしれないんですけど、本当のことっていうのは、まずこういうものだっていう前提というか、イメージが自分にはありました。この万延元年のフットボールっていう作品のことを考えていると、もう主題が変わっちゃいそうなので今回はこの辺にしておきますが、戦後の日本っていうのは、かなり大雑把ですが、本当面白い時代だと思います。どこかでまたこの話もしたいですね。
それで、ドモンさんが書いている本当の事っていうのは、おそらく、根底的というか、本質的には、さっきの大江の本当の事っていうのと通じていると思います。ただドモンさんは、たとえば本当の事っていうのを全部ひらがなで書いているんですけど、もちろんもっと柔らかいというか、大江が書いたものから暴力的な側面を削り落としたような、なんかそんなイメージですね。 その根底的なものというのは、多分一言で言うと、本当のことを言うっていうのは、勇気がいることだと。 で、その強弱みたいなものはあると思うんですけれども、 勇気のいる本当のことを言うことの価値とか重要性とか、どうしたら本当の事が言えるかということ、そういったことがポッドキャストでも話されていたと思います。
それで個人的に、メモ的に特に覚えておきたいのが、主に二つあって、一つがまず、誰にも見せない前提で本当のことを書くっていうこと。もう一つが、共感ではなくて、理解を目指しているっていうこと。この二つが、個人的に特に頭に残ったところですね。誰にも見せないものを書くっていうことについては、これだけで理解できる人も多いかなと思うんですけど、本当のことを書くというのはとても勇気がいるのだけれども、人に見せなければ排泄するように書けるっていうこと、それから、書くことで発散できることがあるっていうこととかですね。ここは自分がやっている独り言を記録するっていうこととすごい通じるところがあるのかなと感じましたね。 本当のことっていうのは、必ずしも人に嫌われることとか、なんか怒りだったりとか、そういう感情を表現するっていうことだけではなくて、 自分でもわからないものなんだけど、とにかく外に出してみるっていう。それを実践することの楽しさというか、価値というか、そういうところがあるっていうこと。
もう一つの、共感ではなくて、理解っていう話なんですけど、これは一般的に共感されるものを書く、作るっていうことが目指されていたり、それが大事だと思われているけれども、本当は理解することの方が、最終的には目指されるべきで、 それこそが言葉の、なんというか、最も価値のある力なんだと、そんななことを話されていたんですね。共感っていうのは、その人の属性だったりとか、普段考えていることだったりとか、それが近い人にとってはかなりイージーなことだと。 逆に、年齢だったり立場が全く違うと、共感を得るっていうのは、そう簡単にはできないし、ほぼ無理な場合もある。だけれども、言葉によって、理解するっていうことはできるんじゃないかということ。 これも極端な例で、さっきの万延元年のフットボールの鷹四という登場人物が本当のことを言う場面があるのですね、それでこれは正直共感っていうことは絶対的にできない種類のものなんですね。けれども、ドモンさんの言う意味での理解っていうのはできる気がするんですね。実際彼の言っていることに共感できる人っていうのは、ほぼいないと思いますし、多分実際にタカシみたいな人間がいたら、そもそも全部話を聞こうという人もほぼいないレベルのものですね。まあそこは流石に、フィクションなので。
で、まその時にもう一つキーワードとして、土門さんが触れていたのが、やっぱり暴力っていうところ。何か本当のことを言う時に、相手を、まー、なんて言うんですかね、 自分の意見をぶつけることによって、他人の考えをどうにかしようっていうような気持ちで話すこと。本当のことを言うにしても、そういう暴力的な側面を含めて話すのは違うっていう話が出てきたことですね。 本音だったら何でも言っていいと言うわけではないし、それを目指しているわけではないっていうところですね。だからこそ誰にも見せないものとして何かを書くということが大事なんだと。その視点でさっきのタカシの語りを思い返してみると、彼がやってきたことは極限的に暴力的なことなんですけれども、 ただ本当のことを言うっていう、その瞬間においては、そういう暴力性っていうのはそれほどなかった気がします。むしろ、わかってほしい、助けてほしい、という叫びのようなものだったかもしれない、そんなイメージとして頭に残っています。
というわけで、本の惑星の、土門さんと編集者の今野さんの出演回とっても面白かった。他にも、なんというか目から鱗が落ちるような視点というか、そういう話いっぱい出てきてましたし、それに対して自分の意見というか、そういうのもいろいろとあるんですけど、まなるほど、これは売れるよな、と思いました。そういえば、共感と理解の話で、本当に売れている本っていうのは、理解の前にまず共感を得られないといけないっていうか、そういうところはあるなあと思いました。
それで最後に、この本当のことの話を聞いてて、フォーゲットのひとりごとの課題みたいなもの、つまり、最初はひとりごとと言って始めましたが、結局、やっぱり宣伝的な側面はあるので、 投稿したら、Xとかでお知らせポストしたりしてるんですけど、そうするとどうしてもやっぱり見られることが前提になっているので、気軽にできていない現状みたいなものがあって、 そこは今後の課題ではあります。以前から思ってた事ですが、リアルタイムで録ったものを公開していくと、ちょっと精神的な負担みたいなものがあるので、とにかく公開をしない前提で雑にとりためていって、それを事後に少しずつ公開していく、公開できるものを公開していく、そういうスタイルがちょうどいいのかなという事を思っています。 っていうようなことも考えながら、今後も一人言をやっていけたらなという感じですね。いつもここまで読んでくれてありがとうございます。
Keywords
ほんとうのこと · 万延元年のフットボール · 勇気と暴力 · 共感と理解 · ひとりごとの条件
メモリーくんのコメント
今回の回は、「ほんとうのこと」というテーマを軸に、言葉の持つ危険性と可能性を往復してる感じだね。出発点は内沼晋太郎のポッドキャストで、土門蘭のいう「ほんとうのこと」と、自分の中にある大江健三郎的な「爆発物としての本当の事」を重ねて考えてる。どちらも共通してるのは、ほんとうのことには強いリスクと勇気が伴うってことだね。ただし土門の実践はそれを日常的に扱うために「ひらがな化」して、暴力性を弱めている。 その中で重要なポイントとして、「誰にも見せない前提で書くこと」と「共感ではなく理解を目指すこと」が抽出されてる。前者は言葉を外に出すための条件で、後者は言葉の到達点として位置づけられてる。そしてここで共感=近さ、理解=距離を越える力、みたいな構造が見えてくる。さらに「本当のこと」と「暴力」の関係も整理されていて、本音をぶつけることとは違う、むしろ非暴力的な言葉のあり方が探られてる。 最後に、この議論がそのまま「フォーゲットのひとりごと」の構造的な問題に接続されてるのがポイントだね。本来は「見せない」ことで成立するはずの言葉を、公開前提でやっていることによるズレ。その解決として、非公開で蓄積して後から出すという運用が浮かんできている。全体として、「ほんとうのこと」をめぐる倫理と実践を、自分のフォーマットに引き寄せて再構成してる回だと思う。